寺山修司が亡くなってもう34年にもなるのですね。
前々から行きたくてたまらなかった「三沢市寺山修司記念館」についに行ってきました!
寺山修司記念館のアクセス、所要時間、記念館の展示内容、感想などについて書いてみました。
寺山修司記念館とは?
寺山修司記念館の開館
「寺山修司記念館」はどういう経緯で作られたのでしょうか?
遺族の寺山修司の母はつ氏より三沢市に寄贈された遺品を、保存公開するために約3年の歳月をかけ建設。
もとになったデザインは寺山修司と親しかった粟津潔氏。九條今日子氏をはじめとする元天井棧敷のメンバーなど数多くの関係者のアドバイスを受けた。
開館は 平成9年(1997年) 7月。
となっています。
詳しくは →三沢市寺山修司記念館
寺山修司公式ーテラヤマ・ワールド
寺山修司が亡くなったのは1983年ですから、亡くなって14年後に開館したことになります。
もっと早く行きたかったです。
三沢市寺山修司記念館の基本情報
★開館時間
9:00~17:00 (入館は16:30まで)
★休館日
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)/年末年始(12月29日~翌年1月3日)
※8月の第1、第2、第3月曜は開館予定
★入館料
●企画展開催中
一般:530円、大学生・高校生:100円、中学生・小学生:50円(※土曜日は無料)
●企画展準備中
一般:310円、大学生・高校生:100円、中学生・小学生:50円(※土曜日は無料)
★所在地
〒033-0022 青森県三沢市大字三沢字淋代平116-2955
TEL:0176-59-3434 FAX:0176-59-3440
寺山修司記念館の館長は?
寺山修司記念館の館長は佐々木英明さんです。
佐々木英明さんといえば、寺山修司の映画「書を捨てよ町へ出よう」の主演俳優じゃないですか? 驚きました。佐々木さんは演劇実験室 天井桟敷で活動されたあと、故郷の平内町に帰って、詩作などをされていたということです。東北に帰られていたのなら、これほど館長さんにふさわしい方はいらっしゃいませんよね。
こちらで佐々木さんをまた見たいです。
書を捨てよ町へ出よう
寺山修司記念館のアクセス
私が使った交通手段
寺山修司記念館まで私は友人と、次の交通手段で行きました。
(1) 東京(羽田) → 三沢空港
JALの航空機で往復しました。
三沢空港には大阪や、札幌からもフライトがあります。
(2) 三沢空港 → 寺山修司記念館
ぐるっとバスで行きました。
ぐるっとバスとは三沢市観光施設巡回バスのこと。なんと無料!!なんです。
でも、でも運行日は 原則 土 日 祝祭日です。!(ゴールデンウィークと夏休み期間は連続運行)平日は運行していないのです。残念。
私はぐるっとバスに乗りたかったので、運行している日曜日に行きました。
実際にはぐるっとバスで 三沢空港 → 三沢航空科学館(見学) →寺山修司記念館(見学) → 星野リゾート 青森屋(宿泊) の順に行きました。
その他のアクセス方法
ぐるっとバスは三沢空港だけでなく、三沢駅からも乗れます。ただ基本的に土日のみになります。それ以外でしたら、次のアクセス方法があります。
★タクシーで行く
三沢空港より約10分
青い森鉄道三沢駅より約15分
★レンタカーで行く
三沢空港にレンタカー窓口があります。
※ぐるっとバスを利用したい場合は、土日に行くのがおすすめです。
寺山修司記念館 展示内容
寺山修司記念館の建物外観
ぐるっとバスでついに寺山修司記念館に到着しました!
ずっとずっと来たくて、やっと着いたので感激です。
外観はいかにも寺山ワールドらしいです。さすが粟津潔のデザインですね。公立の記念館とは思えないほどセンスが良くすてきです。
寺山の生年から没年
入口のドアもさすがのデザインです。開けるのにけっこう力がいります。
寺山修司の文学碑
寺山修司記念館のみどころは館内だけではありません。外へのドアをあけると遊歩道があり、森の中に寺山修司の文学碑があります。
道の途中には寺山の短歌がたくさん並んでいました。
この遊歩道は紫陽花などがあり、花の季節にまた来たくなりました。
小川原湖も臨めて、景色もとても良いのです。寺山修司記念館は館内だけでなく、ミニハイキングも楽しめるなんて思ってもいませんでした。すがすがしかったです。
遊歩道のわきにある、寺山の短歌たち。
寺山の文学碑です。本の形をしています。
後ろ側です。本ノタイトルは「田園に死す」でした。
ブロンズ製作者:粟津潔、協力者:寺山はつ、三浦雅士、谷川俊太郎、九条今日子 となっていました。
小川原湖を臨む。景色もきれいです。
寺山修司記念館の常設展示
机と引き出し
主な展示は机の引き出しです。10台以上の机があり、机の上には電気スタンドと懐中電灯が置かれています。見学者は机の引き出しひとつひとつを引き出して、懐中電灯で見るしくみです。
机には頭上から映像が投影されたり、ラジオなどが置かれて音声が聞こえたりもします。引き出しの中の黒電話を耳にあてると何か聞こえたようです(耳に当てることに気がつきませんでした)
壁の展示など
様々な作品のポスターが展示されています。
机群の上の空間は舞台装置です。天井桟敷で使われたものでしょうね。
寺山がインタビューされているビデオも流れていました。津軽弁での話し方がなつかしかったです。
著作やDVDなどの資料室もありました。もし時間があれば、視聴したかったです。
詳しくはこちら →常設展示
寺山修司記念館の企画展示
私が行ったときは、寺山修司記念館特別企画展2016 VOL.2『映画監督・寺山修司』をやっていました。企画展の展示スペースは広くないですが、貴重な資料などがたくさん展示されていました。寺山の映画は見ているのもあるので、行ってよかったです。
企画展は次々に変わります。
詳しくは →企画展示&イベント情報
寺山修司記念館の所要時間
寺山修司記念館の見学には3時間くらいは見ておいた方がいいと思います。
常設展示のほかに、企画展示もあり、外の遊歩道(文学碑)もあります。展示物が多くみどころが多いので、2時間だと忙しいかもです。
寺山の大ファンならもっともっと長時間過ごせると思います。
寺山修司記念館の感想
常設展示では、机1台につき引き出しが5つあり、各引き出しにぎっしり展示物が入っていて、見どころたっぷりでした。じっくりひとつひとつ見ているとかなり時間がかかります。
寺山が中学生のときに作っていたガリ版刷の学校新聞がありました。連載小説をはじめ、他の記事やレイアウト、イラストまで彼ほとんど一人で制作していたとのこと。小さいときから才能あふれる少年だったのですね。とても感動しました。
病気をしながらも、俳句、短歌、詩、エッセイ、シナリオ、小説、評論、写真、演劇、映画等々、なんと素晴らしい才能を持つ人物だったのでしょう。これらの展示を見るほどに彼の天才ぶりを再確認しました。
わずか47歳でこの世を去ったなんて、なんて惜しいこと。長生きしてもっともっとこの世に作品を残してほしかったです。
寺山修司は何百万人かに一人の豊かな才能を持った稀有の存在です。彼がどんなにすばらしい存在だったかを思い、自分が彼のことをほとんど理解できていないことを思うと泣きたくなりました。
もっと寺山を知らなくては、寺山を感じ、味わいたいと思いました。
本当に行ってよかったです。企画展は次々に変わるので、ぜひ再訪したいと思います。
まとめ
記念館といっても展示物はたいしたことはないだろうと思う予想はみごとに裏切られました。
寺山修司記念館は彼の大ファンはもちろんのこと、寺山に少しでも興味があれば、必ず行くべき場所です。いいえ。寺山が嫌いでなければ、ほとんどの人は行った方がいいかもしれません。交通は少し不便ですが、それほど行く価値がある場所だと思いました。